当ブログにお越しいただきありがとうございます!!
ドイツに暮らす「JIN」です。
このブログはどんな奴が書いているのか、簡単に自己紹介させて頂きます。
99.99%の人が興味ないと思いますが、気になるところだけつまんで読んでいってください!
ブログの目的
仕事でドイツに来てます。ずっとドイツで暮らす予定です。
仕事をしながら、個人で稼ぐ力をつけたいと思い、発信力をつける目的でブログをはじめました!
しかし!せっかく始めるなら
人様の役に立つ事をしたい
と思っています。
【伝える】【分かりやすくまとめる】この2つを意識して更新したいと思います。
基本スペック
・ドイツ在住
・1988年生まれの30歳
・おうし座
・A型
・東京生まれ東京育ち
僕はハンカチ世代です。同世代にはスターや有名人が沢山いる世代なんです!!
後にも詳しく紹介しますが、ハンカチの早実とも戦ってます。
生い立ち
それでは早速、僕の人となりを紹介していきます。
0歳~6歳
3人兄弟の末っ子。上2人は姉。周りからは可愛がられ、甘やかされて育ったと思われがちですが。。。結構スパルタで厳しく育ちました。
そんな僕は小さい頃、テレビのプロ野球中継を見ては、マネをしていたそうです。
姉たちの遊びについていく事が多く、姉の男友達が野球に誘ってくれて、5歳から野球をスタート。
6歳~12歳
運よく入ったチームは人数が少なく、加入してすぐに試合に出る事ができた。
最初はルールも分からず、打ったら3塁側に走っていたそうで。。。
そんなこんなで野球が楽しくなり、野球バカ小学生でした。
6年生で関東大会で3位になり、大会MVPを取り、関東大会の選抜と言う事で日本代表としてアメリカに行きました。
初めてのアメリカ。
野球の試合の事はあまり覚えてないですが、ホームステイ先の家の大きさに驚愕。
アメリカのセントルイスに行き、当時最強のホームラン王マグワイヤーをみて感動したのを今でも覚えてます。
そんな感じで順風満帆の小学生時代を過ごし、中学へ。
12歳~15歳
野球を続けたため部活は真剣ではありませんでした。
野球をしていた友達は何故かみんな柔道部に入っており、とりあえず一緒に柔道部へ。
柔道部の顧問が、柔道界ですごい人で…。今ではアウトな厳しい指導のもと、ぐれる事なくスパルタ教育ですくすくと育ちました。
野球では、また3年の時に、所属していたリーグの日本代表となり、アメリカのシアトルへ遠征。
そこでは、イチロー選手や大魔神佐々木選手、長谷川選手を生で見ることができとても感動しました。
また、当時のチームメイトはのちに甲子園で大活躍するやつも多くとても自慢の友人です。
16歳~18歳
高校へはスポーツ推薦で進学。
- 条件は甲子園を狙える高校
- 6大学野球ができる大学に進学ができること
当時、有名人だったため、いろんな高校からお声がけを頂いたが、結局東京のある古豪の高校へ進学。
入学前の春の合宿から参加し、Aチームの練習に帯同し、ここまではとても順風満帆でした。
しかし、肩をけがしてしまい、Aチームから離脱。
全体練習からも離脱して、ひたすら走りこみの日々をすごしました。
1年の夏前に大きな転機がありました。
それは
監督の交代。
まさかの交代で面識のない監督になりました。
その人との相性が悪く、ケガが治ってもBの練習にも参加させてもらえず、ずっとメンバー外で走り込みの日々を過ごしました。
3年生が引退し、新チームでようやくAチームに合流できたが、新監督が推薦してきた1年が入学するとすぐに贔屓が始まり、グランド整備も道具の片づけも2年と3年がやり、1年は一番に帰宅するという苦渋の日々を過ごしました。
自分が3年の時はレギュラーの6人が1つ下という編成で僕は補欠になり、初めて挫折を味わいました。
入学前に我慢してケガをした肩が慢性的に爆弾を抱えており、引退した時には医者にもう野球はしない方が良いと言われ、更なる絶望を味わいました。
夢だった甲子園も出ることができず、6大学野球のゆめも途絶え、引退後は燃え尽き症候群で勉強もせず、6大学の指定校推薦も貰えず、付属の大学に進学しました。
18歳~22歳
引退してから、大学入学までの間、地元の居酒屋でバイトをしました。
そこで、お金を稼ぐことを知り、どれだけ早く丁寧に仕事を回すかと言う事を学びました。
このアルバイトをきっかけに、野球以外のモチベーションを見つけることができた。
しかし、居酒屋では自給が決まっているので、稼ぐことができないと思い、歩合制のコールセンターの営業のバイトを始めました。
大学時代の80%はこのアルバイトに費やしました。
ベンチャー企業でイケイケの会社で、件数を獲得すれば獲得するだけインセンティブで給料が上がる仕組みでした。
そこで色々と学びがあり、順調に給料を上げていきました。
学校に通い、最低限の単位を取りながら、夜までバイトの日々を過ごし、3年目からは自分のチームができ、20人くらいのスタッフとチームの件数を達成するために、チームマネジメント兼プレイヤーをしていました。
そんなちょっと変わった大学生活を過ごしていました。
就職では、超就職氷河期。。。
まだ何も知らなかった僕は、大手企業に入れば沢山稼ぐ事ができると思っていたので、我武者羅に就活をしました。
僕の就活をする際の基準は、年収ランキング上位から金融業を除き、片っ端から受けていく事でした。
※なぜか当時、金融に全く興味が出ず、スルーしてました。
しかし、Cランク大学だったこともあり、学歴フィルターがかかり、大手はエントリーすらさせてもらえず、ここでも挫折を味わいました。
エントリーできる企業から、何とか、某大手食品メーカーに就職が決まりました。
22歳~25歳
東京でしか暮らした事のなかった僕は、最初に配属されたのが大阪でした。
社会はそんなに甘くない。。。しかも、会社がかなりもブラック。
入社してすぐ、先輩や上司の机の整理を毎朝することろらかスタート。
棚を整理していたら、〇田 〇子リハビリプログラムというファイルを発見。
どうやら病んでしまって退職された方のファイルだったようです。
その後も、夜中の3時まで続く会議や、立たされて3時間怒鳴られ続けるなど、ドラマのような職場で営業をしました。
それでも給料は一定。
大手企業は、年功序列。ボーナスの査定も不透明でした。
そこで、働き方に疑問を抱き、モンモンと仕事をしていると突然、
会社電話に僕宛の電話。
「〇〇生命の〇〇ですが、単刀直入にうちで働きませんか?」とスカウト。
怪しいな~と思いとりあえず会ってみると、そこは完全出来高制。
結果次第で報酬は青天井。
お金を稼ぐことがモチベーションで仕事をしており、大手に入れば稼げると思って入社するも、年功序列で全然給料が上がらないと事実を入社後に知った僕にはとても魅力的でした。
すぐに行きますと返事をし、面接を受け、入社までの段取りを整えたが、完全出来高制。基本給なしにビビり、なんと辞退してしまいました。
ビビりのくそ野郎とはまさにこの時の僕のことです。
26歳~28歳
その直後、本社のマーケティング部に異動になり晴れて東京勤務になりましたが、相変わらずの社畜具合でした。
そんな時、とあるきっかけでドイツでの仕事の話を頂き、東京で2年働いたのちに
今の会社に転職しました。
転職の理由は、稼ぐ事ができるというより、将来性をものすごく感じ、何より楽しそう!!という稼ぐ以外のモチベーションが勝り、決意しました。
東京に転勤してからすぐに転職し、ドイツに引っ越し。さらにこの時期にプライベートでは結婚もあり、とても目まぐるしいスピードで人生が変化した期間でした。
28歳~現在
もともと海外での生活には全く興味の無かった僕は、英語もろくにできません。
前職では毎年TOEICを受けてたのですが、250点前後の点数を毎年取ってましたた。。。。
もちろん、ドイツ語なんて、1つも単語を知りませんでした。
誰も知らないドイツに行き、会社を運営し、拡大していく事が使命でしたので、かなり不安でした。
それでも以外と何とかなり、ドイツ語も学校に通いながら、少しずつ上達してきてます。
そんな感じで現在まで至ります。
現在~未来
これからは、会社としての拡大はもちろんですが、個人として稼ぐ力が必要になってくると感じているので、このブログから、スタートしていきたいと考えてます。
冒頭に書いたように収益化する仕組みを勉強しながら、ブログを更新していきます。
このブログについて
このブログでは以下の事を主に記事にしていきます。
- ドイツでの生活
- グルメ
- ガジェット
- 僕の仕事観について
- その他
雑記ブログなので、上記以外の事も書いていきます。
最後までありがとうございました。
それではまた次回の記事でお会いしましょう!